お彼岸中誰もが出来る布施行「無財の七施」とは?

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年に二回あるお墓参りイベントと言えばお彼岸です。

春分の日の前後3日間計7日間の事を春岸期間といい、秋分の日の前後3日間計7日間の事を秋彼岸期間と言います。

春分の日、秋分の日は昼と夜の期間が同じとされる為、真東から昇った太陽が真西に沈むことにより遥か西の彼方にあると言われる彼岸におられるご先祖様と通じやすくなるとされ、煩悩と苦悩に満ちた我々が現在いる此岸から迷いのない極楽の地である彼岸に行けるようにご先祖様に想いを馳せる期間とされています。

そして彼岸は到彼岸の事を言い、サンスクリッド語ではパーラミターの漢訳の事です。パーラミターは波羅密のことでこのお彼岸期間はご先祖参りの他に六つの修行を行うべき期間でもあります。

六波羅蜜は

  1. 布施
  2. 持戒
  3. 忍辱
  4. 精進
  5. 禅定
  6. 智慧

の六つの修行をするもので、これに先祖供養であるお墓参りを加えることで彼岸期間は1週間となるものです。

中でも布施と聞くと皆様どの様に思われますか?

自分は貧乏だから人にお金を施すなんて出来ない

こっちがもらいたいくらいだ

仏教徒ではないから自分には布施など関係ない

修行する期間と言われてもそんな大それたことは出来ない

など思ってしまうものですよね。

お彼岸中誰もが出来る布施行「無財の七施」とは?の記事をご覧頂きありがとうございます。管理人セイクredです。

この記事では

布施とは

無財の七施

六波羅密の一つ,布施についての記事となります。

布施は決して難しいことではなく、誰でも出来、そして人として成長できるものであると言う事を御理解いただければと思います。

布施とは

布施
布施と言われたら大体の方はお坊さんへの読経の対価としてお支払するものと思いがちなのではないでしょうか。

布施はそれだけではなく次の3つの種類があります。

財施

財施はその名の通り財を施すものになり、お金はもちろん衣服や食料などの物資(財)を必要とするものに施す事を言います。

しかし三輪清浄という言葉があり、

布施をした人、布施を受けた人、施した物、それぞれが打算の無い清らかな心でなくてはならないというものなのです。

「この位の金額を出してあげればいいだろ?」
「お布施ってどのくらい?」

などと考えている段階でもうすでに布施ではなくなってしまっています。

布施してあげる

ではなく

布施させていただいく

の考えでないとお布施にはならないのです。

法施

お経を読み、教えを説いたりするもので、一般の方には難しいものかもしれません。

無畏施

無畏とはおそれのない事をいいますので、無畏施とは現代社会の様々な問題から生じる不安を取り除いてあげる事になります。

災害で被災された方にやさしいお言葉をかける、身内の不幸に打ちひしがれている方のお話を聞いてあげ少しでも気分を和らげるなど心の中の恐怖や不安を取り除いてあげる事が無畏施というものになります。

だけど六波羅密の修行のひとつ布施を行うと言われても自分には財もないし、お経を読むことも出来ない。ましてや人の恐怖心を取り除くとか大それたことなんか出来ない!と当然思いますよね。

しかし布施も法施も無畏施も出来なくても誰もが出来る無財の七施というものがあります。

無財の七施

無財の七施
雑法藏経というお経では財力、智力などがなくても誰でもやろうと思えばできる布施が七つあるとされています。

眼施

慈眼施ともいわれ慈しみの眼で誰にでも接する事です。

目は口ほどにものを言うという言葉があります。これは口に出してしゃべらなくても、目つきを見れば何を考えているかわかるということです。ニュース報道などで容疑者を連行するシーンを見ると、鋭い目の奥からは黒い狂気を感じます。

目は心の鏡、目は人の眼(めはひとのまなこ)という言葉もあるようにその人がどの様な性格なのかが一目でわかるものが目(眼)なのです。

皆さんもそうです、満員電車でぎゅうぎゅう押される、足を踏まれるなどされ、相手を鋭い目で睨む・・・。

していませんか?気持ちはわかりますが、皆好きで押したり足を踏んだわけではありませんよね。

「こんな満員電車じゃしょうがないよね」と思う事は難しい事では無いはずです。

いつでも、誰にでも優しいまなこで人と接する事が眼施なのです。

和顔施

和顔悦色施とも呼ばれ先ほどの眼だけでなく顔全体をいつでも穏やかで優しい顔つきで人に接する事を言います。

笑顔・・・大事です

電車に乗っていると向かいに座っている可愛い赤ちゃんがこっちを向いて微笑んだり、笑ったりするとついついこちらも微笑んでしまいますよね。これ和顔施です。大人が出来ない事を当たり前のように小さい赤ちゃんがやっています。

そんな日はなぜか一日幸せな気分になっていませんか?

私のお客様でお参りの際など挨拶に来られる40代女性はいつでも笑顔!!本当に何時来ても笑顔です。

おそらくお参りだけでなく、ご家庭でも職場でもいつでもどこでも笑顔を絶やさない方なのだと思います。

その笑顔は自然で口角が上がっていますので作り笑顔ではありません。でも彼女にしてみれば笑顔はごく普通のことであって特別な事をしている意識はないのだと思います。

その方は特別美人と言う訳でもないのですが、その笑顔をみていると本当に「可愛い人」と思うものです。

言辞施

愛語施とも言われ、愛ある優しい言葉を使うものを言います。これは優しい言葉を使えば良いというわけではなく、愛ある言葉が必要です。

思い悩んでいる人がいたとします。

「あんまり思い悩んでいては体に毒だよ」

優しい言葉に聞こえますが、それでは愛がありません。きちんと傍に寄り添ってあげて、その人が何で悩んでいるのか、どのような事を望んでいるのかを聞いてあげることです。

「大変だったんだね」

「わかるよ、その気持ち」

「寂しいよね」

「がんばってきたんだね」

などその悩んでいる方の気持ちに共感し、愛ある最善の言葉を伝える事が大事です。

思い遣りの言葉をかけられた相手は思い悩んでいた重い心が少しでも軽くなるはずです。

なにもお坊さんでなくても誰でも出来る事で、あなただけの愛ある想いのこもった言葉があるはずです。

身施

捨身施の事で自分の身体を使って社会に奉仕し人が嫌がる仕事でも進んで行う事。

日本では古くから町内会や自治会、消防団など助け合いの慣習がありましたが、都市化、高齢化によりその機能は失われつつあります。

しかし1995年の阪神・淡路大震災では全国から大勢のボランティアが駆け付けました。

その後度々起こる大災害の度、全国各地からボランティアが集結するのが当たり前のようにもなってきています。

ボランティア(volunteer)はそもそもラテン語のvoloが語源で喜んで~するの意味があり、その名詞形のVoluntasは自由な意志や崇高な意志を意味します。

口で言うのは簡単ですが実際ボランティア活動を行うことは大変なことです。自分自身の生活や仕事もある中で実際に行動に移せる方は尊敬に値するものであり、この身施そのものです。

心施

心慮施のことで早い話心くばりの事です。先ほどの身施も(シンセ)は身体を使う事ですがこちらの心施(シンセ)は心つかいの事です。

霊園には老若男女色々なお客様がいらっしゃいます。その中には誰もがご存知の芸能人の方も数人いらっしゃいます。

ある時その中の一人芸能人Aさんがお墓参りに来ており事務所内で私と立ち話をしていた所、お花の納入業者さんが両手がふさがった状態で外から事務所内に入ろうとしたのを見たAさんが、

ものすごいダッシュでドアを開けに行ったのです。

業者さんは「ありがとうございます」と普通に挨拶しその方が芸能人Aさんだとは気付いていません。事務所にいた他のお客さんも誰も気ついていません。

Aさんは

芸能人として誰かに見られているから助けた

のではなく、

一般人も芸能人も関係なく誰に対しても自然に普通に心くばりが出来る人なんだと理解しました。

Aさんはそのカテゴリーでは間違いなくトップの地位を確立しています。ブランクがあってもなおトップの地位にあるのは間違いなく彼女の心くばりが半端ないからなのでしょう。

共演者やスタッフ、スポンサーはもちろんの事あらゆる人に細やかな心使いを不自然ではなく、自然に行える人なのだと思います。

ネット上では散々叩かれる芸能人の中にあって、彼女の悪評がほとんど見られないのは納得できます。

画面で見るナチュラルな姿は実際会ってみても全く同じであり全てが自然体なのでしょうね。

彼女のあの思い遣りダッシュはいつまでも忘れられない光景として、又あらためて心配りの大切さを若い彼女から教えていただきました。

床座施

席を譲りあう事の意味。電車では皆誰もが座席に座りたいものです。

朝は睡眠不足、夜は残業で疲れていますので、座席に座って少しでも眠っていたいと思うのは自然な考え方と言えます。

しかしお体の不自由な方や高齢者、体の具合が悪い方も電車を利用しますので、そのような方をみかけた時には進んで席を譲る事は誰でも今すぐにでも出来る事です。

房舍施

自分の家のスペースを提供する事を言い、お遍路ではお接待といい人を泊めてあげたり、休息の場を提供したり、お茶などの水分を分け与えたりのおもてなしをする事を言います。

さすがに都会では見ず知らずの人を家に泊めたりすることは難しいとは思います。

しかし房舎施はそれだけの意味ではなく、傘を持たず雨宿りしている方に傘を提供するなどの愛に満ちた行為も同じ意味を持ちます。

まとめ

お布施は財を差し上げる事を言う。と思いがちですが、差し上げるではなく

「させていただく」ことが本来の姿で、上から目線ではいけないのです。

無財の七施は誰でも出来る事と言いましたが、中には出来ない方もいらっしゃると思います。

しかし小さなことでもいいので、少しずつ出来る事から始めてみて下さい。きっと自分自身の中で何かが変わってくるのを感じるはずです。

お彼岸の期間はいつも以上に六波羅密をそしてその中でも無財の七施を意識してすごしてみて下さい。

以上がこの記事でお伝えしたかった事となります。

最後までご覧いただきありがとうございました。


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