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お彼岸のお墓参りはいつ行けばいい?やっぱりお中日?六波羅蜜を意識すればいつでもOK!
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暑さ寒さもお彼岸までとはよく言ったものでお彼岸は一年で最もお墓参りにいく人が多い行事です。
でもお彼岸って彼岸入りとかお中日とか彼岸明けとか7日間もあるけど
お墓参りはいつどの日に行けばいいのか疑問をお持ちの方も多い事でしょう。
一体お彼岸のお墓参りはいつ行けばいいのでしょうか?
お彼岸の期間
お彼岸とは?
お彼岸は7日間のいつ行けばいい?
六波羅蜜って?
お墓参りはお中日が多いって本当?
お彼岸のお墓参りはいつ行く?が重要ではなくてとにかく、行くことが大事です。
お彼岸の意味を知ればそれがわかると思いますので、是非最後までご覧ください。
お彼岸期間はいつからいつまで?
お彼岸は春分の日・秋分の日の前後3日がお彼岸の期間となります。
2019年の秋彼岸と2020年の春彼岸の期間がいつかを確認してみましょう。
彼岸入り・・・・・・9月20日 (金)
お中日(秋分の日)・9月23日(月)
彼岸明け・・・・・・9月26日(木)
彼岸入り・・・・・・3月17日(火)
お中日(春分の日)・・3月20日(金)
彼岸明け・・・・・・3月23日(月)
意外に思うかもしれませんが、春分の日や秋分の日は毎年決まっているわけではありません。
年 | 春分の日 | 秋分の日 |
2016年 | 3月20日 | 9月22日 |
2017年 | 3月20日 | 9月23日 |
2018年 | 3月21日 | 9月23日 |
2019年 | 3月21日 | 9月23日 |
2020年 | 3月20日 | 9月22日 |
地球は太陽の周りを公転しているのは小学生でもわかる事だと思いますが、公転は約365日かけて周ります。
一年365日など言われますが、実際はジャストではありませんので4年に一度うるう年で調整しているように春分の日も秋分の日も天文学上では推測できますが、確定はしないのです。
毎年2月1日に国立天文台が作成する暦象年表に基づき閣議によって決められ翌年の春分の日・秋分の日が発表されます。
お彼岸とは?
彼岸はそもそも彼方の岸で彼岸です。
過去記事より引用
よく昔から人は亡くなると三途の川を渡ると言われます。
三途の川の渡し賃として六文銭を棺に入れていたようにこちらの岸から川を渡ってあちらの岸に辿りつくものと思われています。
三途の川の向こう岸が彼方の岸の彼岸であり、いわゆる仏の世界のあの世の事で、はるかかなたの西にあると言われています。
あの世の彼岸は迷いのない悟りの世界と言われています。
春分の日と秋分の日は昼夜の長さがほぼ同じなことから、真西に沈む太陽から西のはるかかなた、彼岸の世界にいるご先祖様を想い供養するのが彼岸なのです。
対して我々の今現在いる世界の事を此岸と言い、東に位置しているとされます。
此岸は迷いだらけの煩悩に溢れた汚れた世界だと考えられています。
お彼岸の入りとは修行入りの事でありお彼岸明けは修行が終わることを言うものなのです。お彼岸入りからお彼岸明けまでは7日ありますので1日1つ六波羅蜜を修行すれば6日そしてお中日にお墓参りをするのも修行の1日であり7日になるのです。
過去記事より引用
お中日にお参りする意味は修行でもあるお墓参りをし、ご先祖様に感謝する日であり、報告する日なのです。
お彼岸は7日間あるがお墓参りはいつ行くべき?
よくお盆のお墓参りだと
迎え火にお墓へ行きご先祖様を連れてきて送り火の日に送り帰すものだから、中日に行ったってそこにはご先祖様いないから行ってもダメ。
迎え火と送り火にお墓参りに行くもの
なんてよく聞きますよね。
ではお彼岸はいつ行けばいいのでしょうか?
お彼岸期間中はいつお墓参りしてもいいのです。
若い方はどうしてもお盆とお彼岸をごっちゃにして考えてしまいます。
お盆はご先祖様をお迎えし、我が家でゆっくりしていただき偲ぶものですが、お彼岸はご先祖様がこっちの世界に戻ってくるわけではありません。
お盆はお墓へ出向きご先祖様を迎えに行くもので、
お彼岸はお墓へ行きご先祖様を偲ぶと共に六波羅蜜の修行期間で自身を見つめ直す機会なのです。
六波羅蜜って?
彼岸と対極にいるこちらの世界は此岸といい迷いと混迷の世界です。
その迷いと混迷の現世で仏の境地にたどりつくため悟りの境地にたどり着くための修行のことを六波羅蜜といいます。
- 布施
- 持戒
- 忍辱
- 精進
- 禅定
- 智慧
布施
お布施と聞くとお坊さんにお渡しするお金と思っている方は多いのではないでしょうか?
たしかにお金もそうなのですが、布施はその名の通り
布を施すが、由来となっています。
仏教の祖インドでは昔々、お経をあげてもらった僧侶に金品ではなく布を施しお礼をしていました。
これらは財施といい物質です。
昔はお金など無い代わりにお米や野菜や布など物質で気持ちを表す事を財施と言います。
しかしお布施は財施だけでなく法施というものもあります。
法施もその名のとおり法を施す事を言います。
そしてお布施は三輪清浄と言う考え方があります。
三輪(施す者・施される者・施す物)が清浄(清い心)でなくてはならないと言う事です。
施す者は
「そう言われたからしょうがなく払ってやるよ!」
では駄目です。
「私の出来る限りはこれ位ですが精一杯の気持ちを受け取って下さい」
と思う事です。
施される者は
「たったこれだけ?マジで?」
では駄目です。
「わずかかもしれませんが有り難く受け取らせていただきます」
と思う事です。
施す物は
清浄なる物でなくてはならないのです
吉本興業の若手芸人闇営業の問題ではオレオレ詐欺集団が主催したパーティーと言う事で、そもそもが汚れたお金ということです。
人をだまして搾取したお金をギャラとして受け取っていた時点でそのお金は清浄ではありません。
お布施はそれぞれが崇高な想いがあって成立するものなのです。
持戒
持戒は
戒律を持つの意味です。
戒律は仏教的には五戒だとか十戒などの戒律のことで仏教徒の行動規範と思えばいいでしょう。
今風に言うとルールの事です。
「赤信号は止まりなさい」
「物を大事にしなさい」
「他人には優しくしなさい」
など人間生活においては当たり前のルールですが、守れない方があまりにも多く困りますよね。
最近問題になっている東海道あおり二人旅で数えきれないほどのあおり運転や危険運転行脚を行った
あおりすぎ夫を例にすると
「俺様の走行を邪魔しやがった」
「ゆるせねー」
「高速道路上だろうがなんだろうが構わねー停めてぶんなぐってやる」
もうこれでは持戒以前の問題であり高速道路の真ん中で車を無理やり止めさせ殴るなど常軌を逸しています。
東名高速道路の悲しい事故のように後ろから車が突っ込んでこなかったのは幸いでしたが、あの状況自分だって危険だったはずですが、もうそんなことさえ考えられない。
「ルールなんて知らねえ、とにかくあいつをぶん殴る!」
もうすでに人間ではなく、本能で生きる野生動物です。
人間はルールの上で生活が成り立っています。
野生動物のように皆が好き勝手行動していたら文化的な生活を送る事は出来ません。
忍辱
忍辱は屈辱に耐え忍ぶことをいいます。
世の中長く生きていると色々な場面で耐え忍ばなければならない事が多くあります。
例えば仕事で理不尽なクレームをつける客などはどの業種でもいます。
あきらかにそっちが悪いのに謝らなければならないことも中にはあり怒りが湧いてくることもあります。
短気を起こすと結局は自分が損をする
引用元:weblio辞典
短気を起こすと後悔することが多く、未練が生じて、のちのち苦しむことに
引用元:weblio辞典
怒りは自らを滅ぼします。
怒りは心の上に奴と書きますので
俺の心が今乱れたのは奴のせいだ!
と怒りの原因は他人のせいである、悪いのはお前だ!
と言う考え方です。
先ほどのあおりすぎ夫もそうです。
俺様のポルシェを追い抜くなんてゆるせねー
・・・・・別に一般的にはどうでもいい事だと思うのですが、東海道あおり二人旅の道中はとにかく「怒り」しかなかったのではないでしょうか。
生活に対してなのか、仕事に関してなのか、お金に関してなのかわかりませんが、怒りに満ちた状態で全てのエネルギーを他人に向けていたように感じます。
何に対しても怒りが治まらず、道中何回も同じ様なあおり運転を起こし結局逮捕され「怒りは損気」「短気は未練の元」となってしまいました。
お前が悪いではなく、自分が悪いと考え、耐え忍ぶ事を知っていたらこのような事にはならなかったはずです。
精進
精進を簡単に言うと
悪事を断ち、善行を修めるために雑念を去ってひたすら勤めることをいいます。
又、あおりすぎ夫を例にするとわかり易いと思います。
高速道路は一般道より高速で目的地に着く為に信号がない道路の事です。
そもそも渋滞や故障以外は道路上に止まってはいけないのです。
高速道路は少しのよそ見や少しのハンドル操作ミスで大事故につながる道ですので、雑念があっては危険なのです。
それなのにあおりすぎ夫は自分のことより後ろや前を走る、他人の事ばかりが気になる雑念だらけの運転です。
運転にも精進があります。
安全運転を心掛け、絶対に他人を不幸にするような軽率な行動を避ける。
日常生活だってそうです。
日々ルール(持戒)を守り自分や他人をひたすら守る。雑念をすてて邁進する。
それが精進です。
禅定
禅定は(ゼンテイ)ではなくゼンジョウと読みます。
禅定は心を集中させることで安らかに安定し透明な状態になることをいいます。
禅定は三昧を追及することでもあります。
三昧と言えば例えば仕事三昧や勉強三昧などと使われひたすらその事柄に集中する事です。
集中しているから余計な雑念も生みません。
禅定の禅は座禅の禅ですので無念夢想の境地を作り出す事で自身の心の安定を生み出します。
これがあおりすぎ夫のように暴力三昧や迷惑三昧となってはいけないのです。
智慧
六波羅蜜最後が智慧です。
通常皆さんが使うのは知恵の方だと思います。
しかし智慧と知恵はその意味合いが全く違うと説くのが仏教的考え方です。
知恵ですぐに頭に思い浮かぶのが「yahoo!知恵袋」ではないでしょうか?
こちらの素朴な疑問にも何処の誰かはわかりませんが、親身になって答えてくれる人や、適当な答えをしている場合もあったりします。
これら様々な回答を元に、今現在困っている案件に対処する方法を損得に応じて判断するのが知恵です。
この知恵は良いものばかりではなく、悪知恵が働くなど使われるように
自分の利益によって行動を決めるのが知恵です。
対して智慧は物事の真実を見極める事を言います。
悪知恵を駆使して金銭的に豊かになったかもしれないが、反対に心は貧しくなっているのだと言う事に気づき、真実は何処にあるのか判断しなくてはならないのです。
先の・布施・持戒・忍辱・精進・禅定一つ一つの意味を思い出してください。
人間社会というルールの枠組みの中で他人にやさしくし常に自らを律し感情的にならず心穏やかに努力し続ける五戒のまとめが智慧なのです。
実はこれ当たり前の事なのですが、現代のストレス社会ではつい忘れがちな事なのです。
だから
彼岸の期間中だけでもこの当たり前の事を一日一つ心懸けるのです。
彼岸期間は7日間ですので、六波羅蜜を一日一つ行えば六日、後の一日はお墓にお参りしご先祖様に今の自分そのままを報告するのです。
未来に向かって努力を重ね猛勉強している人は堂々とお墓の前に立ちご先祖様に報告が出来るでしょう。
さぞかしご先祖様もうれしく思い、きっとこれからもあなたを暖かく見守ってくれるでしょう。
でもね
オレオレ詐欺を行っている輩はご先祖様のお墓の前に立つ事が出来ますか?
できないよね。
あなたを小さい頃から可愛がってくれた今は亡きおばあちゃんはあなたのその黒い悪知恵マントをまとった姿を見たら大いに嘆き悲しむことでしょう。
そもそも合わせる顔がないからお墓の前には立てませんよね。
そうならないように日々精進を重ね、堂々とご先祖様の前に立ってお墓参りする為にお彼岸にはお墓参りに行くのです。
お中日は混むって本当?
お彼岸はいつお参りしてもいい
と言いましたが、実際お彼岸期間中もずっと霊園にいる私の経験からもやはり
お中日が一番多いのは間違いありません。
私独自でまとめたここ数年の来客数の割合をあらわしたグラフです。(来客人数ではありません)
このグラフを見てわかるように、春も秋のお彼岸もやはりお中日のお参りがダントツに多いのがわかります。
平成30年の春彼岸は季節外れの爆弾低気圧が日本列島を襲い、関東でもお中日に大雪となる予報でしたので、お中日を避け彼岸入りにお参りに来る方が多かった特殊なお彼岸でした。
曜日や天気にも左右されますが、一般的にはお彼岸期間中いつお参りに行くかは
お中日にお墓参りに行く人が多い
しかしお中日以外だって問題ないと言う事です。
お彼岸のお墓参りはいつ行けばいい?やっぱりお中日?六波羅蜜を意識すればいつでもOK!まとめ
- お彼岸期間は7日間
- 一般的にはお墓参りはお中日が多い
- 期間中はいつでもいい
- お彼岸期間中は六波羅蜜を意識する修行期間
- お彼岸は先祖を偲ぶと共に自身の成長を報告しに行く
いかがでしたか?
わかっているようでわかりにくいお彼岸のお墓参りの意味を十分理解した上でお墓参りしていただければいつもと違うお墓参りとなる事でしょう。
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