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お彼岸にお参りする意味、お盆と違い娑婆で己と向き合う期間の事
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お彼岸には家族そろってお墓参りに行く事が多いと思います。
実際年間を通しても一番お墓参りが多いのが春のお彼岸と秋のお彼岸です。
でも一体何故お彼岸にお墓参りに行くのでしょう?
昔からそういうものだったから
親に連れられてなんとなく
意味はわからないけど行くべき期間だから
お盆と同じようなものじゃないの?
など、何となくそういうものだからという理由でお墓参りに行かれる方が大多数のようです。
お彼岸にお参りする意味、お盆と違い娑婆で己と向き合う期間の事
の記事をご覧いただきありがとうございます。管理人のセイクredと申します。
この記事では
お彼岸とは
修行とは
お盆との違い
娑婆とは
の内容となっておりますので、お彼岸に対する知識を深めていただければと思います。
お彼岸とは
2018年春彼岸は3月18日が彼岸入り3月21日がお中日3月24日が彼岸明け
2018年秋彼岸は9月20日が彼岸入り9月23日がお中日9月26日が彼岸明け
「お彼岸」は彼方の岸であり川の向こう岸にある一切の悩みや束縛から脱した、安楽の境地であり仏の悟りを得た涅槃の地であり極楽浄土の理想郷の事を言います。
対して我々がいるこちら側は「此岸」(シガン)といい、欲望と迷いに満ち溢れた混迷の地です。
迷いに満ちた此岸から彼岸に行けるよう己と向き合い修行する為の期間がお彼岸なのです。
修行とは
皆さんはお経と聞いて一番に思い浮かぶものはどの様なお経ですか?
多くは「般若心経」を思い浮かべるのではないでしょうか(浄土真宗は除く)
正式には「般若波羅蜜多心経」といい大乗仏教の思想を説いた経典で現在でも複数の宗派に用いられています。
波羅蜜多はサンスクリッド語のパーラミタ-からきており、完全であるの意味から修行を完遂し彼岸に至ったとする至彼岸(とうひがん)と訳されます。
六波羅蜜
布施(ふせ)
お布施とは一般的に僧侶に戒名や読経の対価としてお金を差し出す事をお布施だと思っていませんか?
本来の意味としては僧侶にではなくあくまでも本尊にお供えするとする考え方です。
そして布施はお金という物質の財施だけでなく法施と言われる形無いものもあります
法施は礼儀正しく、親切で実直であるなどごく当たり前の仏の教えです。
布施はいずれも見返りを求めないものでないと布施にはなりません
布施は物や言葉や心を分け与えるものを言います。
車の運転で例えると
道を譲られたらありがとうの感謝の気持ちを持つことや相手に譲る事。
持戒(じかい)
人としてのルール(戒)を持ちそれを常に意識し行動することを求められます。
甘い言葉や甘い罠にのってはいけません。
正しい道、正しい方法を見失わないことが大切です。
車の運転で例えると交通標識など守る。飲酒運転しない
認辱(にんにく)
とかくこの世は耐え忍ばなくてはならない事が沢山あります。
いわれのない悪口、差別など屈辱を味わう事も多々あります。
これらに堪え忍ぶ事も必要だとの教えです。
認辱の気持ちを皆が持てば世界に争い事が起きなくなります。
車の運転に例えると
こちらには落ち度がないにも関わらず大声を出されたり、凄まれる事もあります。
争うことなく堪え忍ぶことも時には必要になります。
精進(しょうじん)
常に向上心をもち現状に満足せず更に己を高みにもっていこうとする気持ちの事。
昨年のリオデジャネイロオリンピック女子レスリング58kg級では女子選手史上初の4連覇を果たした伊調馨選手だが、向上心の塊のような言動で有名だ。
これだけの成績を残してきたのにも関わらず、これまでのレスリング人生の自己採点は50点というのだからおどろきであり、まさに異次元の向上心の持ち主と言える。
精進を車の運転に例えると
自分はゴールド免許だから運転が上手い。など思ってはいけない。
たまたま今までは運が良かっただけであり、これからも絶対事故を起こさぬよう細心の注意をもって更なる安全運転を心がける
禅定(ぜんじょう)
心穏やかで浮き沈みのない一定した状態の事をいいます。
車の運転に例えると
無理な割り込みやクラクションを鳴らされても平静でいられる広い心を持つこと、後ろから煽られても
急いでいるのですね!と道を譲る様。
知慧(ちえ)
人は生まれたては純真無垢の心を持っています。
しかし色々な体験、経験するに従い色々な悪知恵が付いたりや嘘をつくなど純粋だったはずの心は歳を重ねるに連れ曇ってゆくものです。
お風呂を入れる前は綺麗に見える鏡がお風呂に湯を満たすと湯気で曇り見えなくなるのと似てます。
人の心に宿った憎悪・貪欲・妬みなどは人それぞれ程度の差はあれど誰にでもあるものです。
自分自身今までの体験で積み上げてきた良いものも悪いものも知恵と言います。
対して智慧は仏の教えそのものです。つまり布施であり持戒であり忍辱であり精進であり禅定が智慧となるのです。
だから入りと明け
つまりお彼岸の入りとは修行入りの事でありお彼岸明けは修行が終わることを言うものなのです。
お彼岸入りからお彼岸明けまでは7日ありますので1日1つ六波羅蜜を修行すれば6日そしてお中日にお墓参りをするのも修行の1日であり7日になるのです。
お中日にお参りする意味は修行でもあるお墓参りをし、ご先祖様に感謝する日であり、報告する日なのです。
人はとかく期間をもうけないと惰性で毎日を過ごしてしまうものです。
お彼岸という年2回の行事をもうけることによって襟を正す良い機会なのです。
先ほどわかり易いように車の運転にたとえましたが、なにも車の運転だけでなく日常生活のあらゆるところで同じような場面が必ずあるはずです。
普段あなたが行っている仕事もそうです。
部下が仕事内容にとまどっていれば優しく教えてあげるのが布施であり、社則にのっとり仕事を行うのが持戒であり、客先からのいわれのないクレームに耐えるのが忍辱であり、現在の仕事の質を更に高めていくのが精進であり、どんな大問題があっても動じず対処するのが禅定であり、それらすべてが智慧となるのです。
修行というオーバーな表現でなくて、この期間は特に六波羅蜜を意識する事が大切なのです。
これらを簡単に意識する方法があります。見ず知らずの小さい子供が常にあなたの後ろにいるとお考えください。
小さい子供は純真無垢なので、良い事も悪い事もなんでもあなたの真似をします。
もし信号無視したら「なんだ信号なんて守らなくてもいいんだ!」
無理な割り込みをされ怒鳴り込んだら「なんだああやって怒ればいいんだ!」
どうですか?常に見られていると思えば軽はずみな行動は出来ませんよね。
お盆との違い
これでお彼岸とお盆の違いが解っていただけたと思いますが、
お彼岸は自分自身と向き合い襟を正す期間、それを御先祖様に報告すべき期間の事
お盆はご先祖様を家にお迎えする期間の事をいいます。
娑婆
彼岸の対岸つまり我々がいる現世を此岸と言いますが、此岸はサンスクリッド語ではsahā(サハー)の音写で娑婆(シャバ)といいます。
娑婆と聞いて皆様は何を思い浮かびますか?
「やっぱり娑婆の空気はうまいぜ」
「やっと娑婆にもどれたぜ」
など身柄を拘束された閉ざされた世界である刑務所などの施設からすると外の世界(今我々がいる現世)は天国の様な自由な場所であるとの解釈がされています。
しかし本来の意味としては欲望や私利私欲にまみれた迷いの世界こそ娑婆であり此岸なのです。
けっして我々が暮らしている娑婆は天国の様な場所ではありません。
本当に目指すべき場所は此岸ではなく彼岸なのです。
一流大学を出、皆がうらやむ超一流企業に入社出来ると外の人はこれで約束された明るい将来が待っている、うらやましいなと思うものです。
超一流企業を極楽浄土の彼岸世界に見立てるとこちら側の人間は娑婆世界である此岸といえます。
しかし一見極楽浄土の世界に見える超一流企業の勤務内容は地獄の様で働くものからすれば娑婆世界と思われたこちらの世界こそ極楽浄土に見える場合もあります。
一昨年の超一流企業の事件のことです。
北朝鮮に住んでいる一般庶民も同じで、北朝鮮から川を挟んだ中国へ命がけの越境を行う人が後を絶ちません。
彼の地の中国に渡れば食料があり極楽浄土の世界に違いないと此岸であり娑婆の北朝鮮から文字通り彼岸へ脱北するのです。
しかし現実には中国は彼岸でもなく極楽浄土でもありません。強制的に嫁にされたり、人身売買の被害者になっていたり、最悪は警察に捕まり北朝鮮に強制送還された後拷問を受けるなど、極楽浄土と思った彼岸こそが娑婆世界であることは現実社会では残念ながらありえる事なのです。
では本当の彼岸は何処にあるのか?
その答えを探す為に年2回のお彼岸があるのです。
せめてこの期間中だけでも改めて自分と向き合うことで少しずつ心を豊かにし、人として成長していく姿を御先祖様に見ていただく。
それがお彼岸なのです。
人生にゴールテープはありません、終わりなき旅が常です。
少しずつでも休み休みでもいいのです。
常に前に進む事が大事なのです。
以上がこの記事で伝えたかったこととなります。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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