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塔婆の意味を考えるときには五輪塔を理解するべし
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お墓参りに行くと
カタン!
コトン!
風もないのに不気味に動いて音が鳴るのが塔婆です。
あの塔婆って何のための物なんでしょう?
呪文のようなものが書かれているけど・・一体何?
どうしてお墓に立てるの
塔婆ってなんの意味があるのだろう
親に意味を聞いたけどよくわかっていない
など、何となく法事の時に立てる位はわかるけどイマイチ何の為のものなのか、意味がわからないのが塔婆なのではないでしょうか。
この記事
塔婆の意味を考えるときには五輪塔を理解するべし
をご覧いただきありがとうございます。
管理人のセイクredです
この記事では
塔婆とは
五輪塔とは
塔婆を立てる意味は
の内容のご説明となっておりますので、この機会に塔婆とは何かを知っていただければと思います。
塔婆とは
塔婆とはお釈迦様の入滅後、遺骨を納めたものを仏舎利塔といい、サンスクリッド語では仏舎利塔の事をストゥーバと言います。
このストゥーバがソトウバとなり卒塔婆となり塔婆となったわけです。
塔婆
字を見てみると、
老婆の塔ですので、意味不明ですよね。
おっとこちらは老婆ではなくロバの塔でしたね。
ロバ以外いっぱいいますけど。
つまり塔婆とはストゥーバの当て字ですね。
仏舎利塔は日本では形と意味合いを若干変え、日本独自の文化として五重塔や七重塔などと形を変え、それが五輪塔へと変化していきました。
五輪塔とは
五輪塔は供養塔であり、五輪卒塔婆ともいわれます
上から
- 宝珠形の空
- 半球形の風
- 三角の火
- 円形の水
- 方形の地
空、水、火、風、空であらゆる空間を構成する5つの要素を表しています。
この五輪塔が供養塔すなわちストゥーバなのです。
この五輪塔が角塔婆となり、板塔婆と簡略化されていったのが卒塔婆なのです。
塔婆板のあの切込みにはちゃんとした意味と理由があるのです。
今度お参りに行かれたら、良く見てみるといいですよ。
卒塔婆=五輪塔=供養塔
ということになるわけです。
故人への供養の気持ちが追善供養となりますので、塔婆を立てるということは故人の追善供養になるのです。
現代では五輪塔は供養塔や先祖供養の為の物として認識されていますが、江戸中期まではこの五輪塔がお墓のスタンダードな形でした。
それがやがて和型墓石へと変化し、今に至る訳です。
宝珠
仏教においては文字通り宝の珠のことをいい、古代インドのサンスクリッド語ではチンターマニの如意宝珠のことを表します。
如意宝珠(にょいほうじゅ、梵: चिन्तामणि (チンターマニ)、 英: Cintāmaṇi)とは、仏教において霊験を表すとされる宝の珠のこと。サンスクリット語でチンターとは「思考」、マニは「珠」を指す言葉で、「意のままに願いをかなえる宝」と解釈できる。如意宝、如意珠、または宝珠(ほうじゅ、ほうしゅ)と呼ばれる。
チンターマニの形状は、日本では一般的に下部が球形、上部が山なりに湾曲して尖ってい る。一方、チベット仏教の宗教画、建造物では下部が円柱として伸びており、上部が山なりに湾曲して尖っている。
一つの種類として、3つのチンターマニが積み重なり(一般的には下に2個横に並び、その上に1個乗った形)一つの火炎に包まれたものがあり、これは三弁宝珠と呼ばれる。
チンターマニは仏や仏の教えの象徴と考えられる。地蔵菩薩、虚空蔵菩薩、如意輪観音などの持物、三昧耶形とされる。チンターマニは無限の価値を持つものと伝えられており、祈りの対象となる。
チンターマニは通常、仏塔の相輪の最上部に取り付けられる。そのほかには仏堂の頂上に置かれることがある。
擬宝珠(橋の欄干など寺院以外の建造物の装飾)は、チンターマニを模したものとする説がある。
出典元 wikipedia
皆様お馴染み、西遊記の孫悟空の武器は如意棒ですが、この如意棒は意のままに伸縮できる宝の様な棒という意味です。
普段使わないときは耳の中にコンパクトに格納しており、いざ!という時に取り出し大きくし、武器として戦う様は正に、意のままに願いをかなえる宝のようでもあります。
通常、西遊記の方の孫悟空のイラストを見てみますと如意棒は大体、棒の両端が宝珠形をしていますが、ドラゴンボールの方の孫悟空の如意棒は只のストレートな形をしています。
解釈の違いではありますが面白いですね。
そして日本で一番有名なチンターマニ(擬宝珠)は日本武道館です。
タマネギとかスライムなどと呼ばれていますが、これは擬宝珠を表しているものなのです。
そして五輪塔の一番上にも塔婆の一番上にも擬宝珠があり、仏の教えの象徴であり、無限の価値を持つ祈りの対象なのです。
塔婆を立てる意味は
塔婆を立てる大きな意味としては故人の追善供養です。
追善供養とは一周忌、三回忌、七回忌などの区切りなどで故人を
いつまでも思っていますよ
と冥福を祈ると共にそのメッセージを表すものとなります。
その行為は自分の為でもあり、生きている我々は供得を積むこととなります。
供得を積む事はすなわち善を積み重ねることとなりますので、
追善供養となり、故人の為でもあり、自分の為でもあるという考え方です。
人を思いやる心というものは、生きている人にもそうですが、故人に対してもいつまでも忘れてはいけないものなのです。
以上がこの記事で伝えたかった事となります。
最後までご覧いただき誠にありがとうございました。
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