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お墓に花を供える意味は無常なる心を満たす感謝の意
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お盆お彼岸と夏はお墓参りに訪れる事が多くなる季節ですが
お墓に花を何故飾るのですか?と問われて即答はなかなか出来ないものです。
なんとなく
そういうものだから
意味は解らないけど親がやっていたから
などハッキリと答えられないものです。
お墓に飾る生花はただ単に綺麗なものをお飾りするだけのものではないのです。生花をお供えすることによってあなたの心も晴れますし、お墓を通じて遠いご先祖様の心にも清浄なる思いを伝えるための物なのです。
お墓に花を供える意味は無常なる心を満たす感謝の意の記事をご覧いただきありがとうございます。セイクredです。この記事では
花は無常観を表す
祇園精舎の鐘の声
心がサボテンの様な人
以上の内容となっております。何故人は故人に花を手向けるのか、花を手向ける行為はどの様な意味があるのかについての記事となります。
花は無常観を表す
よく仏壇やお墓にお供えするのは無常観を表しているとも言われます。
活けたばかりの花は綺麗ですがやがては枯れしおれていきます。それはまるで人の一生を表しているようでもあります。
人は幼い時は活けたばかりの生花のようにみずみずしくはつらつとし生命力みなぎっています。しかし時が経つにつれ人も生花のようにみずみずしさを徐々に失ってゆき、やがては人も枯れ果ててゆきます。
ゆえに生花を活けるというのは自分自身を表す事にもなり、いつまでも若々しい(新しい)花を飾ることは自分自身の為でもありまた、ご先祖様の供養の為でもあるのです。
祇園精舎の鐘の声
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず
ただ春の世の夢のごとし
たけき者も遂には滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ
皆様も中学生で習った「平家物語」の「祇園精舎」の冒頭部分ですが覚えていますか?懐かしいですね。
一般的な簡単な解釈としては「思いあがった振る舞いをするものは長くは続かない。栄えているものもやがては吹くと飛んで消えそうな塵と同じ。」というような意味ですがこれはお墓参りにも通じると思うのです。
子供のころは足しげくお墓参りに通っていた純粋無垢な少年も大人になるにつれ忙しくなりお墓から足が遠のいてしまうものです。
「仕事が忙しい」
「面倒くさい」
「お墓参りなどしている暇はない」
「自分の時間の方が大切だ」等々人それぞれ理由はあるでしょうがこれも先ほどの祇園精舎の鐘の声を思い出していただきたいのです。
今あなたがここにいるのはどうして?
今あなたが健康に過ごせるのは何故?
今あなたとあなたの家族が幸せに暮らしていられるのは誰のおかげ?
思いあがった振る舞いをしているのではないですか?自分一人で今現在の幸せをつかみ取ったわけではないのです。
あなたの親がいておじいちゃんおばあちゃんがいてもっと多くの御先祖様のおかげで今の幸せな生活を送ることができているのです。
御先祖様に感謝する行為こそがお墓参りでありそのお墓参りで生花を供えるのは先祖への感謝の意を伝えるためでもあり自分の心を豊にする為のものでもあるのです。
心がサボテンの様な人
非常にショックな話を仕事で聞いてしまいました。電話の内容は墓じまいに関するものでお墓を処分したいとの事で、電話の向こうは男性40代~50代位でしょうか、落ち着いた口調であり理知的な雰囲気の方でした。
墓じまいにはどの位の処分代がかかるのか、どの様な流れになるのか現在のお墓はどの様に処分されるのかなど説明し、お墓には遺骨が納められているようで、墓じまいの場合は受け入れ先が無いと遺骨を出すことが出来ないことをお伝えすると、その方は落ち着いた口調でこういいます。
「今のお墓の遺骨処分していただきたいのですが!」
{は?・・・・・}
「どこかに引き取ってもらいたいんですがそのようなシステムは無いのですか?」
{え?・・・・・}
「もうかかわりたくないのでその遺骨を捨ててほしいのです」
{・・・・・・・}
私は言葉を失いました。その方は名前も名乗らなかったので何処の誰かわかりませんでしたが、この霊園内にあるお墓の親族又は親類なのは間違いありません。
親又は親類の遺骨を何処かに捨ててほしいと言うのです。考えられますか?
その方と遺骨との関係は親子?親類?その遺骨を捨ててくれ?そのあまりにもドライな言葉に思わず荒漠とした砂漠を思い出してしまいました。
もしかしたらその遺骨はその方の父親で生前好き勝手迷惑をかけてその方に言葉に言い表せないような苦労をかけ、そのことをずっと恨んでいたのかもしれません。
又はその遺骨は母親で何処かで男を作って小さかったその方を置いて出て行ったのかもしれません。
あくまで想像にすぎませんが、仮に親の遺骨だとするとあまりにも悲しい言葉だとは思いませんか?
その方からすると「何も知らない外野が好き勝手言うな」と言いたいのでしょうが、現代ではこのような考えを持った方が増えているのも事実です。
その方の広漠とした心の中に咲いているのはトゲだらけのサボテンの様に思えました。
まとめ
祇園精舎の鐘の声の中の沙羅双樹は無常の象徴とされています。無常とは常に変化して一定ではない状態の事を言い、最初はキレイであっても徐々にその美しさを失ってゆきやがては枯れ果てていく様が
盛者必衰の理をあらわす
のです。
おごる事無く自らの心に常に美しい花を咲かせ続ける為にお墓参りで花を供えるのです。
美しい花をもらって迷惑に思う方はいません。それが男性であっても女性でも故人でも美しい花は心が豊になり幸せに満たされるものなのです。
母の日にお母さんにカーネーションをあげるのは何故?
妻の誕生日にバラの花束をプレゼントするのは何故?
結婚式で互いの両親に花束を渡すのは何故?
全ては感謝の心です。
お墓に花を供える意味は供える側も供えられる側も感謝の心に他ならないと思うのです。
以上がこの記事で伝えたかった事となります。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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